2010年 05月 11日
5月11日 いのちの医療 |
先日、国際アントロポゾフィー医学・看護ゼミナールが終了しました。
アントロポゾフィー医学をご存じない方に少し説明すると、
アントロポゾフィー医学は、精神の内なる発展と魂の変容、そして健康と病気に関する認識と理解を深めることで、今日の医学研究を真にホリスティックな取り組みへと拡充し導くものです。
このような視点で、かつて医療が研究されてきたことがあるでしょうか?
2年前、早穂理さんが危篤となった経過の中で、医師が早穂理さんに出来たことは、いくつかある抗生物質を試してゆくことだけでした。
早穂理さんは発熱から入院、そして肺炎になり、MRSAに感染しました。早穂理さんの体内の病原菌を殺すために、抗生物質が投与されたのですが、体力・免疫力の弱い早穂理さんは、抗生物質そのものの副作用の影響で、全身出血、重積発作、高熱などで体が蝕まれてしまいました。
結局抗生物質で病原菌を殺せないまま、副作用の影響で抗生物質の投与を一時中断し、次に副作用がでないことを祈りつつ、新しい抗生物質を試してゆくということを、何度も繰り返しました。
そしてこの繰り返しの中で、結局体はぼろぼろになり、最後の綱の抗生物質が、副作用の影響で投与が中止された時点で、現代西洋医学の治療手段はすべて尽きてしまい、後は死を待つばかりという状態になったのです。
死のふちに立たされた早穂理さんは抗生物質の副作用で、一滴の体力もないほど衰弱してしまいました。
死を前にして、魂の安らかさ、精神の平安とはほど遠い状態でした。
臓器を治療する現代西洋医学は目覚しい発展をしました。しかし、医学の対象は臓器であって、いのちや感情や魂をもった一人の人間ではありませんでした。
死の瞬間はどのような臓器の治療も効力を失い、いのちに向き合わなければならない瞬間が訪れます。また治療途中であっても、その治療を受けるのは心や感情をもった人間です。
アントロポゾフィー医学のように、精神や魂を意識した医学の発展がなければ、医療はまるで機械の修理のようになってしまいます。
これからの「いのちの医療」の発展のためにも、アントロポゾフィーや帯津先生のいのちの力を高める医療がさらに広がってゆくことを願っています。
アントロポゾフィー医学をご存じない方に少し説明すると、
アントロポゾフィー医学は、精神の内なる発展と魂の変容、そして健康と病気に関する認識と理解を深めることで、今日の医学研究を真にホリスティックな取り組みへと拡充し導くものです。
このような視点で、かつて医療が研究されてきたことがあるでしょうか?
2年前、早穂理さんが危篤となった経過の中で、医師が早穂理さんに出来たことは、いくつかある抗生物質を試してゆくことだけでした。
早穂理さんは発熱から入院、そして肺炎になり、MRSAに感染しました。早穂理さんの体内の病原菌を殺すために、抗生物質が投与されたのですが、体力・免疫力の弱い早穂理さんは、抗生物質そのものの副作用の影響で、全身出血、重積発作、高熱などで体が蝕まれてしまいました。
結局抗生物質で病原菌を殺せないまま、副作用の影響で抗生物質の投与を一時中断し、次に副作用がでないことを祈りつつ、新しい抗生物質を試してゆくということを、何度も繰り返しました。
そしてこの繰り返しの中で、結局体はぼろぼろになり、最後の綱の抗生物質が、副作用の影響で投与が中止された時点で、現代西洋医学の治療手段はすべて尽きてしまい、後は死を待つばかりという状態になったのです。
死のふちに立たされた早穂理さんは抗生物質の副作用で、一滴の体力もないほど衰弱してしまいました。
死を前にして、魂の安らかさ、精神の平安とはほど遠い状態でした。
臓器を治療する現代西洋医学は目覚しい発展をしました。しかし、医学の対象は臓器であって、いのちや感情や魂をもった一人の人間ではありませんでした。
死の瞬間はどのような臓器の治療も効力を失い、いのちに向き合わなければならない瞬間が訪れます。また治療途中であっても、その治療を受けるのは心や感情をもった人間です。
アントロポゾフィー医学のように、精神や魂を意識した医学の発展がなければ、医療はまるで機械の修理のようになってしまいます。
これからの「いのちの医療」の発展のためにも、アントロポゾフィーや帯津先生のいのちの力を高める医療がさらに広がってゆくことを願っています。
by chanomaru
| 2010-05-11 18:35
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